「りっちー☆ぶらっく萌」詳解和歌山発・HM/HR NWOBMC「りっちー☆ぶらっく萌」の歴史について解説しています。 余所ではなかなか入手できないような情報が盛りだくさんですよ。
開業を決意する前
きっかけ | 2006年4月、現りっちーぶらっく萌(以下黒萌)店長であるサンドー氏が引っ越しを始めて新しい居住空間を持ったことに端を発する。そこは雑居ビル内にある住居スペースで、さらにそこにはかつて塾として使われていたらしいスペースが生活空間と独立したところに存在していた。だったら仕事が休みの日だけそこで店を開けば面白いのではないか、とサンドー氏が思いついたことが全ての始まりである。 |
コンセプト | 程なくして当初計画していた店の構想および店名が決定。その名も「コンセプト喫茶研究所 -Conceptual Cafe Labo-」(略してコサケン)。毎回ネタになりそうな特定のコンセプトを決め、それに沿ったメニューや接客、出し物などを変化させるというもの。ドリフのコントのように「もし○○な店があったら?」という設定で、大ネタ小ネタの応酬によって客を圧倒していく。そんな非日常的空間を演出する店というのが当初の構想であった。 |
各種準備 | その後サンドー氏はコサケン開業に向けて必要な諸手続きを済ませたり、インテリア品をいくつか揃えたり、本格的にオープンに向けて準備を開始。そんな中でひょんなことから「リッチー・ブラックモエ」という単語を思いついてしまうハードロック好きのサンドー氏。HR/HM喫茶というテーマはもともとコサケンでやるネタとして初めから考えられていたようだった。そして後にこのテーマ1本に向かって収束し、メタルカラオケメイド喫茶としての黒萌がオープンするに至るのである。 |
開業を決意した時
メイド・フォー | 2006年6月、和歌山に一応初のメイドカフェとして「メイド・フォー」という名前の店がオープンしていた。しかしこの店は多くのキナ臭い要素を孕んでいた。まず店舗の位置がどう考えても風俗街・スナック街のど真ん中である。さらにオーナーがオタ産業をほとんど理解していなかったらしく、宣伝用のフライヤーはどう見てもキャバのチラシにしか見えなかった(画像参照→こんなチラシ)。実質的にもほぼキャバに近い営業をしていたようで、一般的なメイドカフェとは一線を画しすぎていたのである。 |
店に突撃 | 2006年7月、サンドー氏がこのメイド・フォーに普通の客として来店。そこで、カラオケ機材(Cyber DAM)が配置されていることや、内装が意外ときちんと整えられていたことに気づき、そして日曜日は営業していないことを知るサンドー氏。HR/HM、カラオケ、メイド。これらの要素が1つにつながりはじめた瞬間であった。 |
黒萌企画始動 | メイド・フォーのオーナーに懇願し、日曜のみ格安の値段でそのハコ全てを丸一日間借りられることになった。当然そこは飲食店やスナックの営業許可を取得している店舗であり、これによって喫茶店開業に必要な初期投資等が大きく省かれるサンドー氏。8月末には店の名前も正式に決定し、ロゴも完成。9月頭にはサイトも立ち上げ、求人も開始。コンセプト喫茶としてスタートしたお店の開業計画は、最終的に「ハードロック・ヘヴィメタル」「カラオケ」「メイド喫茶」という3つのコンセプトが極めて違う感じの次元で融合した、ごく一部の人達を大いに震撼させる強さを秘めた喫茶店としてゆるーく固まったのであった。 |
プレオープンに向けて
難航する求人 | 求人に関しては場所や条件や方向性といった要素により、激しく難航。結局サンドー氏はメイド・フォーでバイトをしていた女性の中からオタ産業に理解のありそうな人材に声をかけ、そこから何とかメイドとして働いてもらえる2人の女性を確保できることとなった。このようなネタに全力を尽くす店の人員としての、そこに集まる色々と濃い客層相手に臆することなく接して給仕する人員としてのこの2人のクオリティが実はきわめて高かった、という事実は後になって判明することである。 |
LQとの接点 | 店のサイトが立ち上げられた後、この店の存在や情報について個人ニュースサイトやブログ等でネタにされるケースはごく一部でしか発生しなかった。しかしそのごく一部の中にLQ(これ書いてるこのサイトの管理人、つか俺)がいた。エクストリームメタル好きでなおかつメイド喫茶にもちょくちょく足を運んでいてオタ産業に理解があってかつ詳しい、そんなLQがmixi上で大いにネタにしたところ、そこに足あとをつけコメントを残すサンドー氏。両者とも何か近いものを感じ、程なくしてマイミク関係になるのだが、この些細なきっかけにより、後にLQが黒萌のサポートメンバーとして、ネタ出しやメニュー・貼り紙の記述などをはじめとして店の様々な部分に関わっていくとは夢にも思わなかったわけですよいやマジで。 |
金魚屋の存在 | 2006年9月、16日と17日の二日間のみ、和歌山で金魚屋というメイドカフェが営業することになっており、実際にオープンした。この日にプレオープン日(という名の営業練習日)をかぶらせることは避けたほうがいいだろうとの判断により、黒萌は9月24日にプレオープンを迎えることが決定した。金魚屋のクオリティがどうであったかについてここでは言及しないが、少なくとも黒萌にはほとんど何の影響も与えなかったであろうことは間違いなさそうである。 |
本オープンに向けて
プレオープン当日 | 営業練習日として、来客から積極的にアドバイスなりを伺おう、あわよくばクオリティの高い客がいるなら今後も協力してもらおう、という狙いも兼ねて店を開けた黒萌。「やる気のある奴は帰れ」と書かれた黒板を店の前に出していたこともあり、この日サンドー氏と初めて顔を合わせたLQを含めて来客は合計4名。しかしその分客のクオリティは期待通りとても高かったように思われる。 |
本オープンの準備 | 2006年10月8日の本オープンに向け、色々とネタの立案や準備等に着手するサンドー氏。・・・と、LQ。9月30日は二人ガストで粘りながら構想を練り、10月7日には二人ジョイフルで粘りながら最終確認をしたりLQが書き物をしたりその後飲料などの買出しに同行したり。この頃から多くのサイトやブログ、SNSで話題になりはじめ、いわゆる萌えオタ層にはほとんどスルーされたものの、シャレのわかるメタラー層にはほぼ好意的に受け入れられた。プレオープン日にはたまたま故障していたカラオケ機材(後に工事・パウエルと命名される)も本調子を取り戻しており、あとは多くの来客を期待するのみとなった。 |
祝・本オープン | 蓋を開けてみればトータルで21人という予想以上の来客があり、ひとまずは成功と呼んでも差し支えない結果を迎えることとなった黒萌。特にカラオケルームの盛り上がり方は凄まじく、開店後すぐにフロアは満席となり、カラオケ喫茶らしく様々なお客さんが入り混じる中和気藹々とした雰囲気が維持され、しかもハードロックやヘヴィメタルばかりが延々と歌われ続けるというなかなか目にすることの出来ない光景がそこにはあった。 |
10月中の営業
2度目の営業日 | 10月15日に2度目のオープンを迎えた黒萌。その前日にはやはりジョイフルで粘りながら色々と準備をしていたサンドー氏とLQ。この日は初日と比べて客足が大きく伸び悩んでしまうのではという懸念があったものの、マイナス予想を覆すように期待以上の客入りがあった。グラハムボネットDAYということでサンドー氏もグラハムのコスを着ていて、自ら信州林檎ジュースを客に出す(※グラハムの代表曲"Since You Been Gone"の空耳が"信州林檎")というパフォーマンスを披露するなど、イベントの遂行という点でもうまくいっており、カラオケルームもまた十分な盛り上がりを見せていた。 |
3度目の営業日 | 10月22日の3度目のオープン日に際し、諸般の事情によりカラオケ機材がCyber DAMから今時CyberではないDAMに勝手に変更されていたり、諸般の事情によりメイド服が盗まれたとの話が流れてきたり(後に誤報と判明)、アクシデントに見舞われながらも無事店を開けることができた黒萌。しかしながらCyberではない下位機種のDAM(代役として工事・冨田と命名される)では洋楽のラインナップが極端に少なく、大いに苦戦を強いられることとなってしまった。 |
11月中の営業
ペインキラーDAY | 11月5日、ペインキラーDAYイベントが開催された。BGMはペインキラーオンリー、メニューや仕掛けもペインキラーやロブ・ハルフォードにちなんだものが用意されており、カラオケ機材についても工事・パウエルがUGA楽宴へと進化を遂げ復活していた。しかしながら来客は常連を含めてわずか7人という大失敗を迎える結果となってしまった。これを受けて12日もペインキラーDAYを続行。開店後16時ごろまで客足が悪く、またしても失敗かと思われたものの、それ以降多くの来店者がありカラオケも大盛況であった。連続でペインキラーが歌われ、合唱すら起こるこの光景を現実のものとした時点で、この企画は成功だったといえるだろう。 |
マノウォーDAY | 19日にはマノウォーDAYイベントが開催された。店内BGMのため大量に用意されたMANOWARのアルバム、サンドー氏がこの日のために購入した本格派のマムシ酒(およそ2万円也)、2chのMANOWARスレの兄弟が提供した大量の田丸浩史マンガ、そしてMANOWARの曲を自由に歌うために設置されたセガサターン。満を持して開催されたイベントであったが、確かにカラオケをはじめとして大いに盛り上がったことは否定する余地もないのだが、実質的には来客8人というディマイオ閣下に申し訳の立たない結果となってしまった。そこで26日もマノウォーDAYを引き継ぐこととなり、形式的にはLQが店長代理・サンドー氏が常連客として(実質的には従来と変化はないが)店の運営に臨んだ。この日が和歌山での営業最終日ということもあってか、来客数や売上高は最高記録をマークし、1F喫茶ルーム・2Fカラオケルームともども活気や熱気やまったりムードに溢れており、まさに大成功と呼ぶにふさわしい結果となった。辺境の地・和歌山での営業は有終の美をもって幕を閉じるのである。 |
大阪への進出
開店するメタルバー | 06年10月6日、黒萌がオープンするの2日前であるが、梅田に暗黒系メタルバー「MiDiAN」がオープンしていた。赤と黒で塗り分けられた店内、所狭しと並べられた髑髏系装飾品、CRADLE OF FILTHのアルバムに由来する店名、その全てがロックでメタルでゴシックでキッチュな雰囲気を演出している素晴らしいバーである。余談だが洋酒好きのLQもちょくちょくこの店でメタルを聴きつつ夜のひとときを過ごしており、メタル好きであるか否かを問わず、少なくとも1度は足を運ぶことを大いにおすすめしたい。 |
寄生するメイドカフェ | このMiDiANにサンドー氏が注目していないはずはなかった。11月末で当時の和歌山のハコでの営業が終了することは決定済みであったため、サンドー氏は早くから黒萌存続の道を模索していた。そこでその一つの解決策として、MiDiAN経営陣の2人に日曜日の昼限定でハコを貸してもらえないか、という交渉を試みるサンドー氏。そして2人の厚意により交渉はスムーズに成立。1月14日のリニューアルオープンに向けて徐々に交渉が具体化されていくことになる。 |
変化する店名 | リニューアルオープンにあたり、店としてのあらゆる要素が一新されることとなる。店名の変更は不可避であった。黒萌は言うまでもなくリッチーブラックモアからつけた名前であり、それゆえ「りっちー☆ぶらっく萌's レインボー」とするのが妥当ではないかと多くの人々が予想したであろう。しかし新たな店名は「りっちー☆ぶらっく萌おぶふぁいあ」に決定。由来はやはり言うまでもなく、最近改名を余儀なくされたRHAPSODY(OF FIRE)である。とってつけたとしか言い様のないオブファイア、誰も全く気にしていないオブファイア、そのうちオブファイア取れてなくなってんじゃないの的なオブファイア。黒萌が改名するにあたりこれ以上店の方向性に合致するネーミングは他にあるまい。 |
リニューアルに向けた企画
メイドの方向性 | 11月に和歌山での営業が終了した時点で、新たに黒萌のメンバーとなるメイド2人の採用が決定していた。2人の持つ個性をさらに際立たせて魅力を引き出すため、2人のキャラクターを対比的に強調することにしたサンドー氏。リッチー好きのアサミ嬢には、ナチュラルメイクに合わせてメガネを装着させ、店内で拡声器を持って歌声を披露してもらうことが決定。そして昔ロリィタファッションをやっていたモヱギ嬢には、ゴスメイクに近い濃い化粧に合わせてカラーコンタクトを装着させ、店内で客の注文に応じてチェーンソーのエンジンをかけて給仕してもらうことが決定した。 |
メニューの方向性 | ソフトドリンクメニューについては今までのものを踏襲する形となった。アルコールに関しては、MiDiAN側との協議により、許可の下りたリキュールやスピリッツ・ウイスキーのみ使用可能、という形に落ち着いた。ゴシックでキッチュなMiDiANの雰囲気を壊すことのないよう、メニューは赤い紙に黒字の個性的な平仮名フォントで印刷することとなり、男が色画用紙にマジックで書いていた和歌山時代のそれから大きく進化したのである。さらにメイド喫茶らしさを出すため、メイド2人に手作りのお菓子類を用意させ、それを「めいどのみやげ」と称して客に提供することも決定。もちろん和歌山時代にイベントのために用意されたマムシ酒(ワンショット2000円)やサービスとしてついてきたうまい棒も当然引き継がれることとなる(ただしチョコ味のみ)。 |
その他の方向性 | 入店時にはチャージ666メタル(日本円では500円)・ワンドリンク代666メタル(日本円では500円)の計666デスメタル(日本円では1000円)分のチケットの購入を要求し、それ以降は注文1回ごとにキャッシュオン、という料金体系が採用された。また、何か注文するたびに「メタル点取占い」(この段階で全20種類)をボックスの中から1枚引いてもらうシステムも確立された。本家点取占いの雰囲気をそのままにメタルネタを絡めたこのくじが、当面のポイントカード代わりを為すこととなる。点数が溜まるとどうなるのかについては、来店して直接確認することをおすすめする。 |
1月中の営業
祝・新規営業 | 07年1月14日午後12時、色々ありつつも予定通りこの日にめでたくリニューアルオープンする黒萌炎。概ね前述した企画案に即した営業形式が取られることとなった。当初は開店と同時に集まった客の前で"Kill the King"を歌うことが予定されていたが、時間帯が時間帯だけあって客足が伸びず、座席が埋まり始めてきた頃にショウが披露されることとなった。オープン間もない小一時間の不安を吹き飛ばすように、とりわけ14時以降から来客数が一気に増大し、常に満席・もうずっと人大杉の状態が続き、夕方前後は席に座れずスタンディングで過ごす客が後を絶たないほどの盛況振りであった。閉店前にも1度ショウを行い、店長やメイドからの挨拶を経て、大きな拍手とともに第1回目の営業は終了。そのままMiDiANの営業へとつながっていった。来客数は過去最大の52人、売上も和歌山時代を圧倒的に凌駕する額に上った。新天地での初営業は期待以上の大成功を持って終えることができたのである。 |
祝・継続営業 | 1月28日、MiDiAN側への負担や利益分配、仕入れや接客といった前回での様々な問題点を改善し、2度目営業日を迎えることとなった黒萌炎。特にイベントは開催せず、前回に引き続いて通常営業という形を取った。前回の来客数をオープン特需であるととらえ、今回の来客数は30人強ではないかと予想されていたものの、最終的には来客数42人という問題のなく満足のいく結果となった。前回オーダーのなかった「めいどじんせいそうだん」が今回は4回ほどオーダーされ、好評となった。新天地での営業ノウハウがあらゆる面で徐々に掴めてきた、と実感できる営業日であったことはほぼ間違いないだろう。 |
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2月中の営業
ペインキラーDAY | 2月4日は、ANGRAやBLIND GUARDIANの来日を記念して「帰ってきたペインキラーDAY」が開催された。BGMとしてペインキラーだけがひたすらエンドレスで流され、メニューもペインキラー仕様となり、通貨もこの日は「666ペインキラー」「666メタルゴッド」に変更された。「メタル点取占い」には、IRON MAIDENネタ(10種類)とJUDAS PRIESTネタ(10種類・全てロブ仕様)が追加され、ロブのくじを引いた客にはBGMに合わせてペインキラーを熱唱させるサービスも用意された。異常かつ疲労感の凄まじい、まさにペインキラー一色の世界を堪能できるイベントであったが、合計38人の客の多くはこの頭のおかしな空間を楽しんでおり、和歌山時代と比べれば大成功だったといえよう。 |
再び通常営業 | 2月18日は特にイベントが予定されておらず、天気もぐずついており、客足は減少するものと思われた。しかし予想を裏切り、来客数は合計53人と過去最高を記録。スタッフ側としても営業に慣れてきた感があり、黒萌はうまい具合に軌道に乗ってきたといえるのではないだろうか。またこの日を最後に、武器担当メイドであったモヱギ嬢が黒萌を正式に脱退。店内で遺憾なくその個性を発揮していただけに脱退は非常に悔やまれる。 |
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3月中の営業
コルピクラーニDAY | 3月11日は森の妖精でおなじみのKORPIKLAANIをフィーチャーした「コルピクラーニDAY」が開催された。個性的過ぎる彼らのキャラクターに負けることのないよう、黒萌においても濃いネタが用意されることとなった。メニューも基本的にはビールと肉のみであり、BGMや映像もコルピのみ。さらに毎回恒例のショウでは、オープニングにWooden Pints、エンディングにHunting Songが歌われる、という好きな人にはたまらない内容であった。今回から正式加入したえいみー嬢はヒッタヴァイネン役を務め、助っ人メイドも含めたメイド集団によるライヴの一体感と異常さ、クオリティの高さは凄まじいと言わざるを得ないだろう。この模様は撮影されており、現在店内でのみ閲覧が可能である。しかし結果としては来客数は23人で赤字を出してしまうという事態に陥ってしまった。 |
今後の展開 | 3月の営業日は25日となっており、DJイベントの他に何と私の就職を祝っていただけるイベントも用意されているらしい。言うまでもなく、当日は私も全力を尽くすつもりである。「ドラゴンフォースDAY」は延期になってしまったが、他にも「イーグルフライフリーDAY」といったような強烈なイベントが順次開催されていく予定である。また「アイアンメイデンDAY」もいずれ開催する方向に進んでいるので、大いに期待されたい。今後の黒萌の動きから目が離せない。 |
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